陶芸を始めたきっかけ
はるか昔、高校のころ私は「美術部」に属していた。油絵を
描いていたことになっているが、実態は「青春を謳歌する」だった。
かけがえのない親友はこの時の部員の一人、部長だった男だ。
この後、いろいろの表現を趣味としてきた。
しかし陶芸は窯が無ければ始まらない。今にして思えば
窯は必須では無いが、当時はそう思っていた。
ある女性が「勾玉」のような形の焼き物をくれたのはそんなころ
だった。土からこんなものができるとは不思議だった。
彼女が作ったのはこの玉と人の顔のようなモチーフだ。
私はその一つを借りて石膏型に起こした。30年近くたって
その石膏型を基本モチーフとして作ったのがA−@である。
用の美と美の美
陶芸にはいろいろな制約やしきたりがある。もともと実用品
中の実用品として発展してきたから無理も無い。
しかし、このしきたりはしばしば「表現としての作品」の足かせ
になる。「口が無いからオブジェだ」「底の削りがおかしい」
「この形では花を飾れない」・・・
陶芸作品を見せると「これは何に使うのですか」という質問が
つきまとう。何にしようと勝手だろう、写真や絵に用途を尋ねる
人はいないのに、陶芸は実用の尻尾と縁を切りにくい。
A−Aはそんな気持ちの表れかもしれない。これには口が無い
底に空気抜きの穴のみ空いている。名前の無い表札だが、庭で
草に埋もれて立ち尽くしている。
A−Bは「陶コマ」だ。まったく実用にはならないが、ロクロの
練習にはなった。ちゃんと回るのが自慢だな。
型物を作った。白いのは石膏型。本物から直接型を
とるのは難しいが一つ作れば当分使える。A−C
A−Dは友人の中華料理店(近日別項にて)に飾ってもらっている。
馬蹄型のモチーフを象嵌している。ボッテリした口はちょっと
変だが明るい作品だと思う。
私の陶芸は表の芸が「手びねり・練込」、実用品は「ロクロ造り」
裏芸は「タタラで組み立てた細工物」である。
A−Eは細工物の一つ、紅茶ポットのつもりだが、どう見えるだろうか。
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