つれづれ写真帖 P25 薩睡峠 (Satta Toge)


波打ち際まで山が迫り、海岸すれすれを東海道が抜けて行くところ、由比から興津にかけての低いが険しい峰が薩睡峠である。
(正しい字は薩?峠だが、字化けして見えない方が多いので、似た字を使った。本当は土変なのでご了承願いたい)

地図を見ればわかることだが、ここは南アルプスの南の果てと言っても良い場所だろう。もし海水がなければ、ここからまだ2000メートルの深さまで続く斜面の一部なのだ。
峠の由来書きに拠れば、古くは室町以前からの交通路で、江戸時代には間道として使われたようだ。



JRの東海道新幹線・東海道本線、東名高速道路、旧国道一号線(国一バイパス)の全てがこの狭い場所に集中している。(新幹線はこの辺りはトンネルで抜けているので、直接には見えない。JR在来線はごく短いトンネルがあるが、ほとんどが海沿いにある。第二東名は山一つ北側を高架とトンネルで抜ける)かつては越後つつ石と同じく「親知らず子知らず」と呼ばれた。
現在でも難所の一つで、荒天の時には高速道路が高波で走れなくなることもある。かつての土砂崩れでは、車が数十キロにわたって止まってしまった。東海道の首根っこと言えるかもしれない。



由比の町から続く蜜柑畑の中のごく狭い道を抜けると、小さな駐車場がある。ここからは東海自然歩道の区間である。雨続きで観光客はいない。畑の中を上に登り、しばらくして戻ってきたこの人たちは、どうも墓参りに来たようだ。



晴れた日に眺めれば、正面に富士山が見える。私たちはここを二度訪れたのだが二度とも富士の姿は見えなかった。毎日見られるので富士が見えなくても特に感慨はない。昨年以来曇りが多く、富士はなかなか見られないから、こんなものだと感じている。



近所の農家が蜜柑を売っている。無人スタンドもある。夏みかんの類が1袋100円で並んでいた。





☆この二枚は東を見たところ。二度目の訪問は雨が偶然止んだ間だったから、空はめまぐるしく変化した。海に二色の潮目が見える。



高度差は100メートル程度、切り立った崖だが、蜜柑や枇杷などが植栽されている。海は時化ていた。



清水(合併して静岡市の一部となった)方面を見る。



ところどころに階段や農業用のモノレールがある。スリル満点と言うほどのものではないが、非常に長い階段なので、ちょっと途中まで降りてみた。



ここまで降りると海が近い。



何も植えられていなくて、荒れたままの場所もある。植物がなくなったら簡単に土砂崩れが起こりそうだ。



南向きの斜面で日当りが良い。遊歩道の周りにはさまざまな草が生えている。



峠なので北側にも斜面が続く。これは通称「ケーブルカー」、もちろん人間用ではなく、主に蜜柑の収穫時に使われる。塗装され、下草刈がしてあるので今も使われているようだ。



南西側は急速に下りになる。目の下には興津、その先には清水港が広がる。晴れた日に港を見るのにはとても良い場所かもしれない。





この辺りからは一気に下っている。この先はすぐに部落になる。この辺で元来た道を戻ることにした。
狭い道なので、手すりが無ければちょっとしたスリルがあるだろう。



雨に濡れた草の表情。



手入れで刈り取られた草。





まだ日暮れには時間があるのに暗くなってきた。梅雨が近い。

【撮影後記】

みやっちと約一ヶ月の間に2回取材した。最初はうす曇り、二度目は雨の一時的に止んでいる間である。
車で30分ほどと近くなので、富士山が見える日に急行するのも可能だ。しかし、そういう写真は観光写真としていくらでも発表されている。よって、私はあえて富士山が見えないものをまとめてみた。(心掛けが悪いからというのが真相かもしれない)

フォーマットがまったく異なる各種のカメラを掲載しているので、描写に統一性は無いが、多面的に捉えたものと解釈願いたい。各写真のデータは割愛したが、大きいモノクロは69か4×5、小さ目はオートロン、カラーはフジカとキヤノネット、渋くて小さいカラーはデジカメである。

☆上がフジカV2、下がMC-DC02(中国製の玩具的デジカメ)による。わずかの時間と空模様の違いで、同じ時に写したとは思えないが、そのまま掲載した。

使用機材

リトレックビュー4×5 メントール69 フジカX2 キヤノネット オートロン MCDC-02


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