KODAK 35 (RF)>


KODAKは世界一のフイルムメーカーであり、フイルムの歴史を作ってきたことは言うまでもない。同時に、フイルムの消費を喚起するために、多くのカメラを作ってきた。
1カメラ、1フォーマット的な時代は第二次世界大戦前後で終わり、小型カメラ用は35oとブローニーに集約されていった。そういう時代を決定付けたのは、ライカ・コンタックスであり、ローライであった。コダックではNo.シリーズがブローニーという通称を広め、レチナは35mmを一般のものにする役割をになってきた。


第二次世界大戦でドイツコダックからの供給が途絶え、コダック本社はこのカメラなどを開発した。コダック35は、後に傑作機「シグネット35」に続く特異な形のカメラである。

2種のKodak 50mm F3.5 を搭載する本機は、中判カメラに使われる0番シャッターを固定筒に載せ、前玉回転によってピントを合わせる。RFはこのヘリコイド部にカムを設け、その変化を長く突き出たアームで捉えて連動距離計導いている。シャッターレバーは本体ではなく、直接レバーでリリースする様式で、初期の蛇腹カメラに等しい。しかし、巻き上げスプロケットにリンクするアームでセルフコッキングをするなど、近代的な部分も持っている。



私が手に入れてから約3年この形のまま眠っていた。理由はシャッターの作動の不安定で、分解しかけたがシャッター前の部分に阻まれ、止む無くスキルアップするまで封印していたのだ。
前玉が二個見えるが一つはどこかから紛れ込んだもの、何のレンズかも良くわからない。



この部分が外れずにシャッターにアクセスできなかった。フリクションで廻すタイプだが、まったく固着していて回らなかった。
結局中玉をつけたままボール盤で穴を開けてカニ目を作り、やっとのことで成功したのだ。
強引な技の先輩、tibikoronさん、NEWLONさん、怪鳥・・・に感謝する。



シャッターが作動音だけで開閉しない理由は簡単だった。駆動軸によって往復運動をし、シャッター開閉フックをを駆動するレバー(矢印部分)のバネが無くなっていて、上手く引っかからないためだった。

原因は簡単だが、ユニットではなく一体化されている。分解経験の無いシャッターで、下手に分解すると元に戻らなくなりそうだ。よって、下から板バネ(シャッター幕の上に載っている)でテンションをかける方式にした。幸い内部が広いので、ガバナーの下に板バネを接着、シャッターはしっかり動くようになった。この写真は追加した板バネの接着前の様子。接着剤がガバナーなどに付いたらアウトなので、慎重な作業が必要で、目が疲れた。



これが巻き上げ部分、フイルムの巻き取り軸は外している。スプロケットにあるピンが、一周ごとにアームに当り、巻き取り軸を止める。同時にスプロケット軸と連動したアームが往復し、シャッターをチャージするのだ。このアームをボタンで解除すると次の巻上げができるようになる。
フイルムを巻き上げないとシャッターチャージされない構造は110などと似ているが、はるかに精密で、強度的な不安はなくスムーズに作動する。



こちらは軍艦部。黄色い線が光軸を示す。画角用のファインダーは軍艦部カバー内に仕込まれていて、距離は別窓ということになる。機能としてはバルナックと似ている。お世辞にも使いやすくはないが、実用には問題ない。



ボディーはプラスチックだが、680グラムと重い。

これにはKodak Anastar F3.5 50mm ES49585 と書かれたレンズが搭載されている。コダックのレンズの組み合わせから、ESは製造年の下二桁を表し、1947年製造と判明した。私は1948年1月生まれなので、このカメラは私の同級生だとわかった。
ほぼ同い年とわかると、お前も良くがんばってきたなと愛着を感じてしまう。








《試写》

モノクロはプレストを12枚撮りに巻いて、まさに12カットのみだ。セレクトする余裕がないのでちょっと不本意。













1/200秒までしかないのにプレストは間違いだった。晴れた港は明るくて見事にオーバーだ。現像をだいぶ控えたので何とか焼けるレベルにはなった。
太陽がまともに入る場面でも暗部をしっかり描写し、意外に内面反射が少ないのに驚いた。無骨だが写すことのつぼは押さえたカメラだ。

カラーはアグファヴィスタ100で試した。













露出が合っていればなかなかの色と描写だ。いかにもアメリカンな色調で、シグネットのエクタナーやシロ22のグラフター、グラフレックスのオプターなどの味と共通する。描写もしっかりしたもので、半分目測だがスナップでも使える。暗いところでの光の扱いにはびっくりした。

コダックは写真がわかっているメーカーだと再認識した。


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