MINOLTA MINIFLEX



このカメラは有名サイト、「中判への誘い」管理人様より譲っていただいた。もっと正確に言うと、リモコンで買っていただいたのだ。北陸の小さなカメラ屋の棚に眠っていたが、これはどうだろうと相談され、希少品なので多少の程度の悪さには目をつぶっても欲しいので、こちらに廻してとお願いしたと言うわけだ。管理人様のテストできちんと写るのは確認いただけたが・・・



シャッターの下のタイムはまともに動かないと言うのはよくある事。ファインダーがほとんど見えないのは上から外せば良いだろうと思ったのだが、このネジがなかなか緩まない。オイルを染み込ませて一日置き、ツールを削って合わせてやっと緩めた。



前カバーは上下二本のネジで外れる。きつくなければ至極簡単な作業だ。面倒なカバーとの連携は一切無く、単に覆っているだけなのでシャッターやレンズの整備精は極めて良い。しかし、ファインダーはそうは行かない。上部は一体型のダイキャストで、上から外すにはファインダー横のネジを抜き、フタを外して上からアプローチする構造だ(写真にはないが後でミラーは交換した)



アプローチはビューレンズを抜いて行った。前から見れば様子がわかる。



奥なのでわかりにくいが、ミラーは見事に曇っていて、ほとんど何も写らない。これでは画像が見えるはずが無い。



ステンレス棒を曲げて、即席の清掃ツールを作った。手が入らないところはこれで拭いて見た。



見事に汚れていた。作業の結果、ちゃんと使えるレベルに回復した。ピントの再調整でここは完了。



次はシャッターを開いてみる。プロンタータイプでセルフタイマー付だ。油切れだったので清掃と給油で完調になった。



ストラップ金具はオートコードのピン式のものと同じだ。元の色がわかった。





セルフコッキングではないが、二重露出防止のメカニズムはある。ヤシカ44などとほぼ同等だ。ただし、巻上げはノブ。赤いヒモは臨時のストラップ補助用(オートコードのものと共用できるが急いでいたので)



ピント調節は左。大きなノブで扱いやすい。



赤窓で一枚目を出すタイプ。これを利用すればカウンターが壊れても使える構造だ。



『追加整備』

ミラーを完全に直すためにファイダーを分解したので、資料として追加する。



矢印の所にあるネジを両側二本抜くと、このようになる。ファインダーの清掃だけならこれで済む。



後はごく細いゴムチューブで位置決めした差込ピンで止まっている。これを抜くとスクリーンを止めているネジを緩めることができる。このピンは意外に面倒な構成になっているので、良く観察して記録しないと組立が困難になるから注意したい。



外したミラー。結局、汚れだけだったので徹底清掃して再組立した。前のネジを止めてからだと自由が効かないので、後のピンから作業すると良い。その際にピンを入れるのがなかなか難しい。狭いところなので工夫して行う必要がある。特に、リターンバネと反対側のゴムチューブは面倒だ。



スクリーンは下側が擦りガラスになったレンズ一体型で、ミラーがきれいになると非常に見やすい。

《試写》

モノクロはアクロス、リバーサルはRDPV











☆モノクロの二枚目は、画面のすぐ外に強い太陽がある。フードは持っているがテストなので使わなかった。ゴーストだらけにならなかったのは内部のバツフルや反射防止がしっかりしているからだろう。

オートコードの兄弟分だが、外観は全く異なる。思想的にはベビーローライの流れだが、ヤシカ44のようなそっくりを狙わず、独自性を出そうとしたことが伺える。オートマットのみでセルフコッキングではないが、二眼レフはそういうものだと思っているので特に問題は無い。、ロッコールの切れ味、反射防止処理や上から下に巻き取る平面性への配慮など、完成度が高いカメラである。外観の可愛さは美点だと思うがそれだけで終わらないミノルタの手堅い物づくりを感じた。

何故レアなのか、1959年という発表年代が原因だと思う。昭和30年代半ばは二眼レフからコンパクトな35o距離計機に代わり、高級機は35o一眼レフに代わられる時代だ。まして、44サイズはアメリカしかブームにならなかったから、一応輸出用に作ったが、より機能の高いプリモジュニアなどには対抗できなかったという点もあろう。
しかし、このデザインと大きさは愛でる道具として捨てがたい。写すだけでなく飾っても楽しい、そう思う。

☆中判への誘い管理人様、大変貴重なものをありがとうございました。大事にさせていただきます。


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