ZEISS IKON Seme Nettar

 ツァイス・イコンのセミネッター、セミ判フォールディングカメラを報告する。

 このカメラは母の実家に保存されていたもので、主に祖父が使っていたものだ。祖父が存命な頃、母の実家の囲炉裏の後の衣桁には、常にこれがケースに入ったまま掛けられていた。祖父母が亡くなった後、七人兄弟の誰も実家を引き継がなかったので、実家は消えた。その時にこのカメラは叔母に引き取られ、その叔母も亡くなったので私が預かった。

 この手のセミネッターは1934年に発売されたから、これもその頃のものだろう。母の記憶では、祖父は旅行には必ず持ち歩き、スナップしていたようだ。祖父は職業軍人で日清戦争などに従軍し、除隊後は晴耕雨読の日曜画家だった。スケッチする時間が無い時はこれでスナップしていたらしい。


 写真に関しては祖父より母の方が進んでいて、最初がゲルツ、後にバルダを使っていた。ゲルツは母の伯父(祖父の弟・職業軍人)からのお土産で、伯父が休暇の時に母との約束を守って買ってきてくれたそうだ。

 何度目かの帰省時に、「中国国境がきな臭い。今度は露西亜と戦いになるかも知れない。戦場では今使っているバルダは大きすぎるので、お前にやったゲルツとしばらく交換してくれ。後で返すから」と言って交換して出かけた。

 伯父はノモンハン事件で戦死し、帰ってきたのは血染めのベルト一本だけだった。もちろんゲルツは戦場に消えてしまい、母の手元にはバルダが残った・・・伯父の「お前は軍人と結婚するな」が奇しくも遺言に、バルダは遺品になった。


 母によれば、この伯父の兄である祖父はセンスが良くて、なかなか上手かったそうだ。祖父が描いた油絵は、コローに心酔した祖父らしく、淡々とした上品な作品である。残念ながら祖父が写した写真は、実家の解体で散逸し、今は残っていない。




 このネッターは20年ほど前に私が一度整備している。その結果、今も特に支障なく実稼動するので、今回は掃除程度で特にレストアなどは行っていない。
 








 セミネッターはセミイコンタの廉価版で、レンズ・シャッターがそれぞれネッターアナスティグマットと1/175秒までのクリオシャッター。距離計は無くて目測、巻上げは赤窓(このカメラはセミオートマット仕様、ただしカウンターは壊れていて分解不能なので赤窓を使う)とコストダウンされている。

《試写》

モノクロの試写は、あいにくの曇りのち雨の日だったので、プレストにて







ネガカラーは晴れた日に公園で NS160(ムラは現像ミス)







☆このレンズはテッサー系より線が太い描写だが、現代のフイルムだと軟調ながらきちんと描写し、画面のどこも大きく破綻しない。絞りを開くと軟調になるが、アウトフォーカス部があまり流れないので十分使える。現代レンズと比較すれば大甘の描写だが、不自然でないから好もしい。

 操作が簡単で現役スナップカメラとして楽しめる。距離はメートルで表示されているからわかりやすい。スナップでは3メートル程度で固定して必要に応じて調節と言うのが実戦的だ。ただし、あくまで晴れた昼間に絞って使える場合である。曇ったら目測の正確さは必須になる。@/175秒までのシャッターだが、400のフイルムで何とか使える。400なら明るい室内も特に問題なく使える。

−−−数十年ぶりにカメラとして使われたセミネッター、次はどこへ連れて行こうか・・・・

☆この記事の発表後、ナースマンさんより「セミネッターのこの手で自動巻き止めを持つものは珍しい」とご指摘があり、その部分を追加掲載する。







 機能としては、手前側がカウンターリセット・スタート、右側が巻き止め解除レバーで、おそらく赤窓で一枚目を出した後にスタートさせる構造だろう。残念ながら、内部を見たくても巻き上げノブは抜けるが、その下の部分がカシメ状態でカバーが抜けない。仮に復活しても、フイルム厚みの違いからズレは必至なので、そのまま使うことにしている。カバーは横にずらせたので、中のギアを抜いて巻上げを邪魔しないようにした。ケースは専用のキリカキがあり、専用であると見た。


May 2012

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