小西六 Baby Pearl



 ベビーパール、我家に来て40年以上

 私の家はかつて薬屋で、当時の私は店を手伝っていた。その頃で10年を越える写真歴があり、カメラを自分なりにメンテナンス していた。その当時でも古めかしいマミヤ6やオートコードを、使わない時は化粧品のショーケースの中にアクセサリー的に置いて いた。古いカメラ趣味と思ったお客から「もう使わないから」とか「壊れているので」と何台か貰った。

 昭和20年代に全盛だった二眼レフや、その前から使われていたフォールディングカメラは、昭和30年代半ばにはあまり見かけ なくなっていて、40年代には骨董品の仲間入りをしていたのだ。ハーフの台頭、キヤノネットを代表とする距離計カメラの 大進化と一眼レフの普及で二眼レフを見る事は稀、フォールディングカメラなど私は小学校卒業以来見た事が無かった。 その意味では今よりもっとクラカメだった時代、それが1970年代だ。


 ベビーパールはその一台だが、その時から完璧なジャンクだった。錆だらけ、貼り皮無し、蛇腹はほとんど外れてゴミのように 固まっていた。一応礼を言って貰ったが、とても直せるものではなく、ガラクタ箱に放り込んで忘れた。

 レストアを始めた頃に、三度の引越しにもかかわらず捨てられずに持っていたこのカメラを思い出した。しかし、蛇腹を作るなど とても無理なので、差し当たり「錆チェンジ」を全て塗ってこれ以上腐食するのを止めて、また封印した。



*先般、連続してフォールディングカメラをレストアした。その中で蛇腹を試作も含めて4個作った。最後はきちんとした形になった。 これなら40年物も直せるかもしれない、そう思って起動した。



 光っているのは錆チェンジの樹脂。金属部は手で触るまでも無く凸凹、その他直すべきところは多々あり。唯一の救いは、これだけの 期間を経過しているのに、不足部品はピントリングの無限遠ストッパー用のネジだけということ。



 ヘキサノン50o4.5のレンズ周り。汚れはあるがノンコートだから清掃で何とかなりそう。ギロチンシャッターは猫の目に なっているから開く必要あり。



 レンズは全て外し、中性洗剤入り超音波清掃。これで良しと思ったら、後玉は向こうがかすんでいる。軽い研磨で表面はクリアー になったが、何とバルサム切れ・・・これであきらめては意味が無いので、いろいろ今までに開発した秘法(笑)で対処、何とか コントラストが少し落ちるだろうが一応写る程度になった。


バルサム切れ(バルギレ)

 張り合わせレンズの接着が痛んだ症状。古いレンズはカナダバルサムという針葉樹の樹脂で張り合わせていた。これは 揮発分が残っていると収縮したり、琥珀色に変色したり、温度変化で気泡や剥れを起こす事がある。最近のレンズは紫外線硬化樹脂によるので、 バルギレは少ない。

 バルギレは中心部だと致命傷。フレアー、ゴースト、像の歪みとコントラスト低下で使い物にならない。周辺の場合はレンズと絞りの 関係によっては意外に影響しないが、次第に劣化するので商品価値的にはゼロになる。直すには高温で剥がして清掃し、改めて貼る しかないが、完全なジグが無い限り光軸のずれは不可避で、作ったメーカーで交換するのが唯一の対処法。






 35oフイルムを裸のまま暗室装填、赤窓は塞いで写したもの。最終形態の前なので、逆光とレンズの曇りでフレアーが全体に 出ている。ピントは出ている。大体ハーフ判程度のフイルム面積なのでピンは甘い。裏紙が無いので光が少し入った。それでも 「絵は出た」その後、危険は覚悟で秘法2を実施した。結果は上々、ぱっと見た程度ではクリアーになった。点々と残った曇りは 数が少ないので実用可能になった。



 シャッター分解。バネ切れは無く、給油と清掃で復活しそうだ。光っているリングが速度変更用。上のへこみ部分で速度を決める 方式



 への字の金具が羽根の開閉タイミングを決め、シャッター速度を司る。左に外されているのが絞りアセンブリーで、取っ手付きリングに 絞り羽根が付いていて、バレル側の溝に合わせて絞りを決める。なかなかユニークな構造だ。



 レンズバレル完成。見えている白い粉はドライ潤滑用のボロン。羽根は錆びているので清掃し、ボロンをつけて何度も動かす。 最初は10回に4−5回は猫目(半開き)になったが、次第に好調になった。もちろんこの後にもう一度清掃した



 蛇腹製作のためにサイズ確認。取り付け部が二重になっていて、カシメを外すとフイルムが通る部分が外れる。これなら 手が入るので蛇腹の取り付けが楽になる。ありがたい構造だ。

 内部は見たとおりボロボロだが、これでもずいぶんきれいになっているのだ。元の状態を見て、「何とかなるさ、直せるよ」 なんて言える人は、、、610大老以外に私は知らない。



 645カメラ用からスケールダウンすれば良いとみて、コピーで段階縮小した。645の70パーセントがボディー側に合うので採用



 折り目全てにヘラを入れ、丸く接着して折り込む。山谷を間違えないこと、角の正確さに妥協しない事がコツだろうか





 サイズ確認後、皮をまきつけて接着し、皮ごと折り直す(非常に面倒)。次に前板接続部の裏板を接着、形状強度が出てから本体に 接続する



 各部の取り合いを良く確かめながら接着。ここの緩みは即光漏れだから、丁寧にするのは言うまでも無い。その後、墨汁にて 内部を黒くする。墨汁を塗ると、含まれる樹脂分により紙が非常に硬く強くなる。

 この後、凸凹ボディーにヤスリがけして少しは滑らかにし塗装、全て消えていた皮の貼り込み、ピントグラスで画像確認と再調整、 シャッター運動会(錆落しとすり合わせ)など各部を仕上げて完成した。シャッターは1/100秒が意外に正確に動作し、1/50も 使えそうだ。シャッター速度変更レバーは節度ゼロで、ちょっと触っただけで動いてしまうので、薄い皮を挟んでみた。遮光のための 毛糸の追加、バネが切れて消えていたファインダーの修復その他、行った作業は数え切れない。

 ともあれ完成。









《試写》



 コニカのベビーパールだから、最後のコニカ・パン100から切り出して写した。小西商会と六桜社、小西六、(サクラフヰルム)、 コニカと続き、コニカミノルタというスバルマツダみたいな名前に変わり、ついにカメラとフイルムから全面撤退したコニカ、 その最後のフイルム。私にとって手持ち最後の一本がこのカメラにふさわしい。撮影日は2016年1月1日、場所は富士市の港公園。









 レンズはバルサム切れで曇りがあるし、平面性が怪しい127。全て”最高速1/100秒”かつ頼りないシャッターレバー。手ブレは 覚悟したが、予想以上にしっかり出た。一部に光漏れがあったのでトリミングしている(一枚目)。また、フイルムにスポット (しみ)が発生していたので消している。モアレはスキャナに対応するホルダーが無いので、ガラスキャリアーで挟んでいるから 避けられないが、もちろん現物には無い。さすが蛇腹カメラ、逆光に強い。

☆操作性は御世辞にも良いとは言えない。何より作動したのか指先でほとんどわからず、人ごみでは音もかき消されるシャッターが 最低で、何度も不安になった。1/100秒が最速ではISO100のフイルムがやっと、動体をぶれなく捉えるのは無理。赤窓はともかく巻上げ ノブが薄くて使いにくい。このカメラを使いこなせば、普通の35oマニュアルカメラは超精密機械に見えるだろう。まあそれが 撮影を工夫する楽しさ、面白さでもある。

 小西六が御手本にしたのはツアイスのベビーイコンタと言うのは間違いないところだ。各部のサイズや構造が極めて近い。 並べたら文字を見なければどちらか見分けが使い無いだろう。しかし、ヘキサノン5.0pF4.5は周辺光量やピントで本家より 上だと思う。続けてベビーイコンタをレストアしてテストしているので間違いない。真面目に作られた良いカメラだ。 昭和9年から25年まで作り続けられたのは、持ち歩きやすい大きさと、意外なレンズ性能のおかげだろうと思う。


 誰でも思い出せば苦い体験が未だにチクチクというのがあるだろう。今回は一つ解消できた。全く使えない状態から 何はともあれ画像が残せた。ずいぶん時間が掛かったが、この報告が出来たことに達成感を感じている・・・I got it!


January 2016


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