試写と作品・雑感

掲示板に、始めて引き伸ばしをした方から喜びの書き込みがあった。
自分で写し、現像し、引き伸ばして始めて写真の全体像が見えたようである。

私の返答は以下のとおり。一部追加と修正している。読者一般には伝わらない点を補足したのだ。

引き伸ばし初体験、おめでとうございます。
私は35年くらい前なので、定かではありませんが、暗闇に浮き出る絵はやはり感動でした。
その後は思い通りにならない印画との格闘がずいぶん続きました。少しは自分にも焼けるなと感じるまでに、数年かかったように思います。
今の時代にモノクロ自家処理は、結構原始的ですが、以前にラッコさんがおっしゃたとおりです。引き伸ばしは撮影に必ずフィードバックします。スキャナの便利さはまったくありませんが、一つの「作品」を仕上げた喜びは、何物にも代え難いでしょう。

レストアしたり、クラカメを集めている方は、作品を報告するときによく「試写」という言葉を使います。
「試写」という名目は、実は写す人の逃げだと思います。本当に試写なら完全にコントロールされた被写体と光で、リファレンスになるカメラ(レンズ)との比較も入れて、正確に行うべきで、単なる「写っていた」とは異なります。

ほとんどの方の試写は、結果がたいしたことがなかったときの、イクスキューズですね、試写だからと逃げるための。
で、ほめられれば、自分のセンスや技術をほめられたと喜ぶのです。これは「試写」とは矛盾しています。特別な状況、例えばボロボロでどうにも使えなかったカメラがともかく撮影に成功した、などの場合は、試しに撮ったものを発表するのはかまわないと思いますが、試写という名目で写して、写真としての評価を求めるなんて矛盾しています。

試写ならレンズの特徴や、カメラの機能を諮るために写すべきです。それは作品として発表してはならないと思います。作品としての評価を求めるなら、堂々と作品と言うべきです。

「本気」で撮りましょう。カメラテストではなく自分との対決です。今の自分をカメラに写し取るのです・・・・・



なーんて、今日は硬派のkanでした。


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