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記憶、記録(昭和グラフィティー)ーーーーーー
「推奨・1000ピクセルが横位置で見られる環境」ーーーーー
これは私の叔母の家の片づけで出てきた。名刺判(6.5×9.0)の乾板と同サイズのフイルム、プリントである。
外箱には Zeiss Ikon ONITO Nr.25 6.5×9cm Zeiss Ikon A-G DRESDEN と書かれている。
中身のプレートの箱は二種類で、イルフォードとトーヨー
(東洋乾板株式会社)のどちらもスペシャルラピッド
というタイプだ。感度表示は無いが、EIで20-50程度と想像した。EI50がS、つまりスピードタイプ、つまり高感度
と表記された時代より20年位前のものだから、大体そんなものだろう。イルフォードにはピロガロールの現像処方が
詳細に書かれている。ピロガロールは没食子酸(もっしょくしさん)とも言う還元剤で、現像主薬として使われて
いる。定着は単ハイポ指定というのが昔的か。
自分のカメラを持ち、写していた母の話から、昭和になるとブローニーやベスト(127)が多くなっていったから、
その前後という時代推定は無理のないところだと思う。これらに使われたのは
このようなプレートカメラだろう。
画質から数台によるものと推測した。
これらの写真がどの時代のどんな人たちかいろいろ調べた。時代の決め手は新しい代々墓の記念写真で、これに
昭和六年建立と書かれていた。ほぼこの年前後とそれ以降と考えて良いだろう。女性の正装は着物だが、子供の
普段着が洋装なので時代考証に合う。軍服や国民服姿は一枚だけだった。第二次大戦に近い写真はほとんどが国民服
だったのを考えると1930年代までと考えた。
親戚の法事にプリントを持参し、叔父、叔母たちに見てもらったが、確証は得られなかった。しかし他人の素人写真
の原版を貰ったり買うような事は考えられないので、叔父一族だろうと結論した。場所は現在の静岡市、おそらく清水
地区が中心である。
二重に箱に入れられていたので意外なほど保存状態が良く、スキャナーで読み込む事ができた。もちろん退色や傷は
盛大にあるから、できるだけ修復した。原本はそのままだが周辺はトリミングしてある。乾板の場合画像の境界が
曖昧で、引伸ばすならトリミングが前提だったから元の撮影意図を損なう事は無いと思う。
おそらくこちらがこのプレートの持ち主、叔父の若い頃だ。静かな努力家で、静岡市に長い間奉職し、最後は図書館
長を務めて退職、二十一世紀になる頃亡くなった。彼を良く知る甥は「この目は間違いなく叔父ちゃんだ」と言う。
《正装》
《日常風景》
《富士登山》
《海(清水・袖師)
《スナップ》
☆もはや誰を誰が写したのかは定かではない。しかし、何時の時代にも日常生活がある。無理をして場面を作った
ものではない日常写真・記念写真はそれを生き生きと伝える。写真の究極はここにあるのではないだろうか。
November 2014