OLIENTAL キャビネ暗箱 「鳩が出ますよ!」>


カメラの原点はカメラオブスキュラ、暗箱(暗室)である。よりピントを良くするためにレンズを使い、レンズボードの移動で焦点調節をし(初期は箱で、後により大きく動かすために蛇腹をつけた)、この像をピントグラスで読み取ってフイルム(湿板、乾板、フイルム)と置き換えて撮影するように発展した。この原点を守っているのが写真館で使われてきたアンソニー(据え置き型の大型カメラ)と組立暗箱だ。
組立暗箱は携帯に都合よくなるように、蛇腹のフレキシビリティを生かして可動範囲を広げ、携帯するときにはたたんできわめて小さくなるように工夫された。長い間、「出張撮影」の主役であったが、1960年代後半を境に、120フイルムを使うマミヤやフジカに出張撮影の地位を譲った。スタジオではより高度な撮影ができて、見栄えの良いビューカメラに「ブツ撮り」や「モデル撮影」の主役の地位を奪われた。
現在はほとんど省みられないまま朽ち果てている暗箱が多い。確かにこの古めかしい外観と、改造しなければ現代の三脚やフイルムに対応しない点や、スペック的に自由度が低く、剛性不足で頼りないカメラが、プロはもちろん、大判マニアにも省みられないのはそれほど不思議なことではない。
しかし、木製の三脚やマグネシウム発光機、フラッシュバルブにソルントンシャッターとともに、中年以上の方には懐かしいカメラだろう。おそらく一度は写真館や学校で写された経験があると思う。

「はい、ここを見てください。鳩が出ますよ!」


以下は610さんより大判ファンを増やすべしと特命を受けて送られてきた中の一台(ジャンクとも言う)、キャビネ暗箱レストア記だ。

到着した時は残念ながらピントグラスが粉々に砕けていた。磨りガラスでどうにでもなるから気にしないで、各部を点検した。



こんな感じ、蛇腹が多少痛んでいること、各部が潤滑不足とか木の劣化で、木ネジが飛んでいる程度で、全体の程度としては良い。

一体どこのメーカーか探してみた。



錆びて良く見えなかったが、ルーペで見るとオリエンタルとある。フイルムのオリエンタルなのか、問い合わせてみた。以下はオリエンタル改め、サイバーグラフィック社からの回答だ。

ご連絡頂きましたカメラを調べましたが、結果は不明です。当社の履歴を調べ、推定することになりますが・・・

オリエンタル写真工業(株)からサイバーグラフィックス(株)へと変更となり、資料も乏しくなっております。判明致します事、以下となりますのでご参考として頂ければ幸いです。

昭和13年   OPICマークデザインを使用開始
昭和19年   東洋光機製造株式会社を合併(光機部門とする)
昭和20年秋 光機部解散

これが全てとなります。
19年から20年に掛けては戦争により、工場・社宅の戦災により壊滅状態となっていることです。マークと合併から昭和13年以後、昭和19年までと判断致します。何故昭和13年までもどるのか?ですが、東洋光機と合併前に当社マークを取り付けていた可能性があるからです。

(中略)

  サイバーグラフィックス(株)


余分な仕事にもかかわらず、丁寧な回答をいただき、ここに感謝したい。

さて、まさに戦争中(満州事変1931年から敗戦の1945年まで)のカメラだとわかった。
私の想像では、この頃には物資が不足し、贅沢品のカメラは作りにくくなっていたはずだ。しかし、現物は本体の桜材や真鍮にニッケルメッキの材質はかなり良い。蛇腹の痛みが少なく、戦後の蛇腹よりはるかに良い材質である。

キャビネ版は密着で十分(L判プリントの約二倍)だから、写真館の出張撮影に良く使われていた。このカメラも当時はとてもアマチュアの手に負えるものではなく、写真館の備品だったのだろうと推定した。

現実に使うには、キャビネ判はちょっと困る。印画紙フイルムで一回写して、後は展示するという手もあるが、2キロ弱で蛇腹も十分伸びるのだから、4×5のフィールドカメラとして再生しようと思い立った。



バック部はこうなっている。ここでピントを合わせ、その後に取り枠をピントグラスの下に差し込むわけだ。





取り枠の代わりに4×5にカットしたベニアを入れ、現状の押さえ板の位置を移動して、ゴムで片側を引く方法で4×5カメラに変身させた。ピントは差し替え式のピントグラスで代用すれば、十分使える。取り枠ガイドを入れただけなので、いつでも元の姿に戻せる。





普通は前枠が伸びるだけだが、高級仕様で、後にも伸び、全長は約50センチに達する。望遠仕様ではない300oのレンズもギリギリ使えるのだ。150ミリなどでは相当の接写も楽にできる。また。後枠を前進させることで短い玉にも対応していて、へこみボードなしで90ミリは付けられる。



二段延ばしがわかる。底板には普通の三脚に対応するように板を張ってネジを取り付けた。



これに合わせたレンズは無いので、コダックのラピッドレクチリニアー(RR)を一段下げた状態で組み込んだ。下げたのはレンズをつけたまま畳める事を目論んだのだ。RRはこのカメラの雰囲気にぴったり合っているので良いと思った。

ちなみにアオリは、前後枠とレンズボードでのティルト、ライズ・フォールで、後枠によるスイングも少しできる。つまり一応のアオリは使えるのだ。
フィールドカメラとして十分の機能といえる。ただし、各部の剛性はあまり高くないので、フイルムの装填などには気を使う必要がある。

ともあれ、私がイメージしていた「鈍重で低機能」な組立暗箱というのは間違いで、フィールド用の簡易ビューカメラというべきものである。大判入門者は、こういうカメラから学べば上手くなるだろう。一枚を撮るための作業ポイントが非常に多いので、カメラの機能に精通するのは間違いない。

製造年が戦争中にもかかわらず、これだけのものを世に送り出しているのだから、オリエンタル(現 サイバーグラフィック)の技術者は優秀だ。610さんによれば、使われている金具は、一つ一つ糸鋸で切り出して作られ、素晴らしい名人芸とのこと。

《試写》

試しというよりぶっつけ本番である。

富士市立中央図書館で開催された、「2004戦争展」から。TXPにて。



開放の描写、4×5で何をやっているかと怒られそうだ。



F22で約1.5秒(バルブにて)の描写。掲示板のわずかの輝度の違いなど、しっかり写している。さすがに周辺は甘いがこれも味の内。



4×5の暗箱で速写は難しい。ざっとピン合わせして急いで写した。暗いので2秒だが、それでもアンダーだった。しかし、意外にぶれていない。大判でこういうのもありだと思う。

このレンズの室外での素性はおよそわかっている(KODAK No.3 このページの下がこのレンズによる)
室内でも趣のある描写で気に入った。


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