日本ポラロイド HOLGA 120S(2)

 「トイカメ」という呼び方がある。Toy + Camera の造語で、このホルガやスメハチなどを珍重する人たち、というより売り手によって広げられた呼称だ。

 彼らはこれら簡易カメラの歪みや周辺落ち、光線漏れなどを珍しがり、「トンネル効果」などと言う噴飯モノのエフェクト名で呼んだりする。写真・プリクラにサインペンで書き込んだりいろいろなエフェクトを入れる延長線的に見ているようだ。数年前まではブログ掲載する人たちなどに売れていたらしい。

 普及型デジカメの低価格・高機能化と携帯電話付属カメラの高性能・高加工能力に押されて、これらトイカメのブームは去ったようだ。より精密に写すというカメラ進化の本質を逆手に取った売り込みは、精密描写も色々な加工も簡単に出来る機器に淘汰されるのは当然の帰結、まさに一時のアダ花だった。



 このホルガは新品箱入りで、1000円と捨値で投売りされていた。その価格ならまあ許せると手を出してみた。



ホルガは以前に報告している。Nママさんに頼まれて改造したから中はわかっている。使う前に内部点検。このカメラで普通に写そうと思ったら必須の作業だ。







絞りが付いていない絞り調節部(笑)推定F16程度の絞りを入れた




シャッターにバルブ機能を付加。ノブを押し込むとシャッターが開いた所で停止する。ここに設定するとスロータイムは押し加減でどうにでもなる。ただし手ブレ補正機構は組み込まれていないから、ブレは自己責任



フイルムの圧板を追加。透明なので赤窓に影響なし



軍艦部を開く。巻上げノブは接着されているから力技で剥がす(たかさきさん情報)ファインダーにマスクして645仕様にした



外見上は改造点がほとんどわからないだろう



距離計とピントグラスをつけてピント位置の確認、指標の位置確認を行う。指標は近い所から1.3.6.∞の順だが、この改造でほぼその位置であると確認できた。開放でも暗いので極めてピントの山が見えにくい。また、周辺では流れでピントは全くわからない。

以下の外観はノーマル状態にて撮影







《試写》

単速1/100秒で無改造ならF8固定だからプレストでは無理がある。全て645にて







距離が合えば案外出るし、言うほど周辺は落ちない。3枚目はやっちまった二重写し(笑)










絞りを入れた後のもの。最後のカットは中央部のサイズ無調整切り出し

☆以前のテストと感想は変わらない。日の丸構図で使うなら立派に使える。本来用途で密着で見れば家族の記念写真などきちんと使えるだろう。

《トイカメ、ユルイ描写》

 このホルガやダイアナ、ロモ(主にLC-A)などはトイカメ=玩具のようなカメラとして売り込まれている。

 ホルガの説明書では、「HOLGAは、トイカメの何たるかを教えてくれる、サイコーに愉快でクレイジーでチープなカメラです。世界のプロカメラマンやアーティストをトリコにしてしまう理由が、もうすぐわかるはず!」(日本ポラロイド(株)攻略ガイド原文より)

 販売者がトイカメと定義しているのだから、これはトイカメなんだろう。不完全さを楽しむカメラと言う位置づけだが、それを延長して、単なる周辺光量落ちを「トンネル効果」などと噴飯モノのキャッチを付け、変な写真が写る不思議な道具として売り込んだわけだ。

 携帯組み込みカメラやデジカメの急速な進化は、このような効果を「アートフィルター」などと称して簡単にかつやり直しが何度でも出来る形で実現しているから、この売り込み方法ではもはや売れるはずも無い。新品が捨値でスタックされていても驚くに値しない。不便と偶然を楽しむ人はそんなに多くないのだから。


 私はトイカメという分類を認めない。おそらく営業サイドで作った分類だろう。玩具のように手軽く楽しいと言う売り言葉だろうが、カメラはカメラである。玩具で写真は写せない。写真が写るならそれはカメラである。

 かつて120カメラの多くは、コンタクトプリント(密着焼き付け)で楽しむか、良い部分だけをトリミングして焼き付けて使われていた、これらの利用法ならホルガにも必要十分なカメラとしての機能がある。フイルム面全体を見せるのが普通の現代においては「ユルイ」と呼ばれる描写だが、たった一枚のプラスチックレンズでこれだけ写れば文句は無い。コスト制約の中でよくここまでまとめたものだとさえ思う。「ユルイ」が遠距離のピントが甘いとか、光の条件によってはコントラストが落ちやすいをさす用語なら、ユルイカメラなどいくらでもある。名器とされているペンシリーズ(もちろん銀塩の)などその代表格だろう。だからと言って、ペンが駄目なカメラと言う人はあるまい。複数枚のレンズで、当時としては非常に手をかけて作られ、時代的には画期的な総合性能を発揮したのだから。

 カメラの評価方法は色々あるが、カタログスペックで語るのは意味が無い。そのカメラでどんな写真が生まれるのかが唯一の判断材料だ。これには使い手の趣味、技術が伴い、見る人の嗜好が加わるから果てしが無い。唯一、持てる機能の比較は出来るが、例えばフラッシュ類を使わない人には、シンクロ機能の有無は判断材料にならない。「私はこう思う」しかないのだ。
 結局、「写ればカメラ、使えないカメラは無い。ただし、無い機能は使えない」

 周辺まで光がしっかり廻り、合わせたところはどこもピシッとピントが合うのが理想だと思う人はそういうカメラ・レンズを使えば良い。しかし、”高級”レンズでわざわざ開放にして、被写界深度を浅くし、前後をぼかして、いつどこで写したか全く伝わらない花などの写真を写している人たちの”芸術”作品と、まがりなりにも周りがわかるホルガの写真、果たしてどちらが上なのか。私には、好み以上の差は無いと感じられるのだが。


July 2011


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